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音と共に十の小商いで生きていく

2021.01.30

“マイペースにやりたい事をやって生きていく” 現代社会に生きる多くの人々にとって、このフレーズはどこか違う世界に住む人の物語や、永遠の偶像に過ぎないと思っていやしないか。僕自身も金井さんの思考、思想に迫るまでそう思っていた一人かもしれない。もちろん様々な事情が背景にあり、なかなかやりたい事ができない人がいるのも分かる。ただ、やりたい事や理想のライフスタイルに一歩ずつ泥臭く確実に近づいていくことは多くの人ができることだと本インタビューを通じて思い知らされた。とても軽やかでミニマムで、おもいっきり好奇心のまま好きな様に生きている金井さん、金井さんのライフスタイルの全てが詰まっている古着屋O to &|音十(オトト)。開業して3年目、現在も開業当初に掲げた「音と共に十の小商いで生きていく」という理想のライフスタイルへと着実にゆっくりと近づいている。金井さんの現在に至るまでの旅路に迫る。

古着屋O to &の一番のウリは古着ではなく、金井さんの生き様に触れられること
まずは、古着屋O to &(以下、オトト併用)について、簡単に紹介したい。
オトトに初めて訪れたお客さんは様々な疑問を浮かべるだろう。
“こんなド田舎の集落に古着屋?”
田んぼに畑、美しい山並みの風景に緩やかに流れる川、日本昔話に出てきそうな里山集落で、“ファッション”というワードとはあまり結びつきがなさそうな辰野町川島区にオトトはある。
“ここがお店?”
築150年、小さな丘の上に佇む平屋の立派な古民家、お店の前の庭には無造作に置かれた不揃いの椅子、流木や古道具、白いサンゴ礁や綺麗な丸い石、ウッドデッキ機能を狙って重ねられた古い長机達など、お店に入る前からなんだかカオス感が漂ってくる。

“古着屋に入るという意識を持ってお店の戸を開けると???”
もはや言葉で全てを言い表すことはできないが、金井さんの生き様が投影された店内という表現が一番しっくり来る。お店の戸を開けてまず目に入ってくるのは古着ではなく、今までに見たことの無い数多の楽器達、ポールダンスのステージ、音楽ライブ用のマイクスタンドに取り付けられた真っ赤な和傘。戸を開けた段階では、古着屋だと認識できない。玄関をあがり、左手には立派な古民家の梁を活かして吊られた古着のディスプレイがあり、ようやく古着屋だと認識できる。その他突っ込みどころ満載の店内には、とにかく金井さんの興味関心のセンサーに引っかかった物が散りばめられている。金井さんが今まで訪れた外国で仕入れてきた楽器、古着、雑貨。廃品回収バイトで訪れた空き家から出てきた古道具や置物など、まさに金井さんのライフストーリーが店内を彩る。空間に対する解釈は人それぞれだが、良い意味で“やりたい放題”という表現が近い気がする。この空間に身を置くだけで、ステレオタイプが破壊されていき自由になれる感覚がある。この感覚こそが古着屋O to &のウリではないかとオトトファンの一人として感じている。お店について語り出すとつい熱くなってしまいキリがなさそうなので、本題である金井さんのこれまでの旅路について紹介したい。

人間の見本市の様な自転車屋と出会い、人生がリセットされた
京都市南区にある創業60年、自転車屋をルーツとした塗料卸会社を経営する父、京都市中京区に佇む“創業五百五十余年御用蕎麦司 本家尾張屋”が実家の母のもとに長男として生まれる。
幼稚園から私立に通い、とにかく勉強づけの日々を送り、いわゆるお坊ちゃんとして幼少期を過ごした。中学校受験の際、「小学生の時に勉強しすぎて、もう本当に勉強をしたくないと思って、大学まで受験をしなくていいエスカレーターで進学できる同志社を選んだ」という。大学生時代は「バイトで稼いだお金の半分は古着に注ぎ込んでいた」というほど、古着が好きだった。

大学4回生になり、周りは就活ムードになり流れに乗った。就活の軸として「社会に一回叩かれよう」と思い営業職を志す。頭に浮かんだのは野村証券、リクルート、キーエンスの3社。ご縁があって入社したのは、キーエンス。母方のご実家の蕎麦屋から後継者としてのオファーを入社前から受けていたので、「半腰でキーエンス生活をスタートした」という。持ち前のコミュニケーションセンスで営業ルーキーランキング1位という成績を収め勤続1年10ヶ月で退社。

その後、元々オファーを受けていた母方の実家の蕎麦屋に入ろうと思っていたが、蕎麦屋の女将に「年周りがよくないから来年の節分まではやめとき」と言われ、思いもよらずまる1年間ニートに。この期間で、「初めてのひとり海外旅行でとりあえずのインドに行った。旅行は物見遊山で終わって、日本に帰ってからはゆっくりしてたわ〜」と当時を振り返る。

学生時代の友人達が必死に社会にくらいついて働いている社会人2年目の時期にニートをしているのは変な焦燥感などに駆られたりしなかったのだろうか?

「頭の良さが人間の価値を決めると勘違いしていた当時、自分より賢いと思った2人の地元の親友の存在が大きかったなぁ。一人目は実家から歩いて3分の距離に住んでいたケンタ。彼は音楽リスニングオタクで世界中の楽器ソムリエみたいなことをしている奴。二人目は谷川くん。奈良で家賃5,000円の古屋に住み画家として創作活動をしていたね。現在は絵を描くことをやめた画家(笑)。2人とも賢いのに新卒で会社に就職せず、好きなことをやっていたことに対してずっと引っかかりがあったしね」

とにかく友人のキャラが濃すぎる(笑)。“類は友を呼ぶ”という言葉があるが、この段階で何となく現在の金井さん像と薄らと繋がってきた。好きなことをやっている親友2人の側、母方の老舗蕎麦屋の後継者として専務という立場で社会復帰した。

通勤で使っていた自転車が壊れたことをきっかけに、仕事終わりに自宅と蕎麦屋の中間にあったナチュラルサイクルという自転車屋に修理に訪れた。そこは、ただの自転車屋ではなく、音楽スタジオ、古着屋が併設されており、とても面白く初来店で魅了された。「今思うと、ナチュラルサイクルは間違いなくroots of オトトだね」というくらい多大な影響を受けた。

具体的には、何が面白かったのか?

「まずバイトスタッフがおもろかったわ。年齢が1つ上の神戸大学卒で目つきの鋭い楽器ができて歌がうまい超絶モテるロン毛の男クバユータ、40歳の俳優志望の平野さん、オーナーの娘のカノンちゃんの基本3人がお店にいて、チャリの修理が終わった後も、何の用事もないのに通ってたわ。来てるお客さんもおもろかった。生き辛さを感じていた多様なアウトサイダー達が集まっていて、人間の見本市みたいだったね(笑)」

これまた登場人物のキャラが濃すぎる(笑)。金井さんの人物紹介は本当に面白い。絶妙な形容詞と関西弁のリズム感、めちゃくちゃな文法が変に心地良くてずっと聞いていられる。

自暴自棄の旅と季節労働
ナチュラルサイクルと蕎麦屋の全く“正反対の世界”を行き来している最中、当時の社長と経営方針が合わず、蕎麦屋を辞める事になった。

「本来であれば父方の塗装会社を継ぐのが筋だったけど、それを蹴ってまで母方の蕎麦屋の後継者として入ったっていうのもあったから、一旦全ての人生がリセットされた感覚だったわ」

その後は?

「それまでの人生がレールに乗っかっていた反発もあってか、海外に旅に出た。人生が変わると思って、片道切符で二度目のインドに向かった。最初はチェンマイに行って、前後不覚状態でネットカフェに入って、地図を眺めて地形に興味を持ったところに行くというめちゃくちゃな旅。行き着いた先は工業地帯で何もすることがないこともあったし、目の前でピストルを放たれたりもした。詐欺だってわかっていてわざと引っかかって原付バイクを買ってみたり、完全に自暴自棄の旅だった。結果、資金が底をつきそうになるタイミングで国境を超えネパールに向かった。国境はとにかく危なかったなぁ。入ったらそこは天国だったよ、人が優しいし、水が綺麗で本当によかった。そんなこんなで1ヶ月くらい過ごして、財布がすっからかんになって、帰国」

その後も旅の資金を住み込みの季節労働(北海道のシャケの加工場、富士山の山小屋、奈良の茶摘み、和歌山のみかん農家、沖縄のサトウキビ狩り等)で貯め、海外に行くというサイクルを数年繰り返していた。その中でも印象的な出会いがあった。

農薬を買うお金が無く、必然的にオーガニック茶畑を営む一男さん
奈良の茶摘みの季節労働に行っていた時の話。

「一男さんは本当に頭が悪かった(笑)。仕事の効率は酷いし、ろくに勘定もできないから、しまいには農薬を買うお金も無くなって、必然的にオーガニック茶畑になっていた(笑)。それでもギリギリで生きていた。人間てサバイブできるんやなぁ〜と思い、何故か自信になったわ。一男さんは本当にいい男だった。当時、自暴自棄になっていた頃で社会人として本当に使い物にならなかった自分を優しく迎え入れてくれて、人としての温かみは凄かった」

そんな一男さんと2ヶ月間過ごして金井さんが学んだ大切なこと。
「人間の価値は頭の良さで決まらない」
「今までの自分が思い込んでいた価値観がひっくり返された感覚だった」

喜多屋(現:古着屋O to &)との出会いで人生が動き出す
旅と季節労働を繰り返している中で、息継ぎの場として実家ではなく自分の拠点が欲しいと思い、地方の安い空き家を探し始めた。和歌山の熊野エリアと長野県を中心に50件程見学し、理想とする物件に出会った。物件には”喜びが多い屋”で喜多屋という屋号がついていた。
趣味でやっている民族楽器達がおける十分なスペースがあり、小さな丘の上で目の前を遮るものはなく、隣は空き家、裏は山という音楽好きにはたまらない好条件だった。しかも家賃は激安。入居を即決し、引越しを済ませるやいなや、すぐに物件の改修資金と生活費を稼ぎに夏の富士山の山小屋へ80日間籠る。喜多屋に戻るものの、物件オーナーの残地物と埃だらけですぐに住める状態では無く、家の中にテントを張って、居住エリアを開拓していった。一通り片付けが終わり住める状態になったとある夜、現在のオトトプロジェクト構想が降ってきた。

音楽と共に十の小商いを作って生きていく
「幾つもの季節労働をやってきて、一番感じたのは“働く場所と働く人を自分で選びたい”と思った。そうなると独立開業するしかないという結論になった。開業するにあたって頭に浮かんだのは、飲食、物販、宿泊の3つ。その中でも敷居が低かったのが物販。大学時代、古着も好きだったし、買い付けという程で海外旅行にも行ける(笑)これだ!」

古着屋O to &は開店して3年目、3つの生業ができた。
・季節労働で貯めた資金を元手に、もともと好きだった古着を販売。
・友人の影響で始めた楽器や機材を活かしてライブハウスを設営。
・なんとか食いつないで行く為にやっている廃品回収バイトで引き取ってきた物を活かして構成されたDIYカフェ。

ご覧の通り、古着屋O to &は夢物語でもなんでもなく、どこまでも現実的な金井さんの人生そのものだ。

“やりたい放題”のオトト空間に身を置いた時、不意に自分の人生と照らし合わせてしまい、ある種の憧れを持ってしまう人が多いのではないかと勝手に妄想している。なぜなら僕もその1人だったからだ。当たり前の事だが、自分が歩んでいる人生は自分があらゆる取捨選択をした結果で出来ている。外への意識(世間の目や友人知人の目など)と内への意識(本当の自分は何がしたいのか)の二つにバランスよく目を向けて、納得のいくラインを見極める事が自分の人生を生きるということなのではないかと考えさせられた。

ここで金井さんの口癖である名言を紹介したい。
「“やりたい”と“めんどい”を比べて、やりたいが勝った時だけやる(笑)」
「まず自分が幸せになる、その幸せを周りの人にお裾分けする」

最後にこれからの古着屋O to &について聞いてみた。

「1年で1個ずつコンテンツを増やしていく予定で、今も新たな生業を仕込んでいる」
開店当初のコンセプト通り、“音”と共に十の小商いで生きていくことが出来た時、初めてO to &は音十となる。一ファンとして、O to &が音十となるのが楽しみで仕方ない。

金井さんこの度は、、、というより毎度お世話になり、ありがとうございます。

O to & | 音十 |辰野町

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