○と編集社 代表・一級建築士

設計しない建築家〜まちづくり ならぬ “まちあそび”〜

赤羽 孝太(あかはね こうた)

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赤羽孝太さんの“へんあい”

地域創生ブームの中、建築士がまちづくりに取り組む事例は全国的に増えている。一見すると、孝太さんもその一人のように見える。けれど、孝太さんは地域活性化のためにまちづくりをしているわけではないと言う。


社会貢献的なまちづくりというより、「まちあそび」と表現した方が適切かもしれない。そう思うのは、トビチ商店街をはじめ、孝太さんが取り組んでいるプロジェクトは、何よりも孝太さん自身がいちばん楽しそうだからだ。下辰野商店街のまちめぐりツアーのとき、誰よりも目を輝かせながら商店街建築の面白さを語る孝太さんのその姿がそれを物語っている。


「トビチ商店街には、自分自身が来て欲しいと思えるお店を呼びたい。おいら自身が面白いと思える町をつくる。それが関わるみんなにとっても、生きやすい町だったらいいなと思うだけ」


他の人の幸せは逆立ちしたってわからない。けれど、自分自身が幸せだと思える町は他の誰かにとっても幸せかもしれない。究極の自己満足の先に、全体の幸福もある。


だからこそ、孝太さんは町全体を「遊び場」に見立て、どんなお店があったら、どんな仕組みがあったら、とワクワクする妄想を膨らませる。それを10年かけて形にしていく。そんなふうに責任を持ち、命をかけて町を面白くする孝太さんは、きっと町を遊ぶ天才で、天職だ。


赤羽孝太さんの“へんれき”

辰野町北大出区生まれ。辰野町南小学校、辰野中学校、伊那北高校を卒業後、建築家を志して神奈川大学建築学科へ。


大学時代には、日雇い労働者が多く住む「ドヤ街の簡易宿泊所をリノベーションして新しい人の流れを作る、「ドヤ街を宿街に」プロジェクトに関わる。かっこいい造形としての建築を作ることよりも、すでにあるものを生かすソフトのまちづくりの面白さを体感する。


大学院を卒業後は、「一本の線の重み」を知りたいと工務店に就職し、大工として約3年働きながら、一級建築士免許を取得。その後、神楽坂の個人建築事務所に移り、公共施設の調査業務や設計業務に取り組む。


その傍ら、深刻化しつつあった故郷、辰野町の空き家対策協議会のアドバイザーにならないかと声がかかり、活動を始めるものの、解決アイデアの提案だけでは、町の空き家問題が何も解決しないことを痛感。辰野町の「始まりの男」である役場職員の野澤さんとの運命的な出会いもあり、町の集落支援員として空き家問題に本腰を入れて取り組むことを決意する。


集落支援員として、主にまち歩き空き家・空き店舗ツアーを定期開催。2019年より、デザイナーやコミュニティプランナーなどそれぞれの専門性を持ったメンバー5人と、○と編集社を立ち上げ、10年後の下辰野商店街のエリアリノベーション事業として「トビチ商店街」や美術館との企画展、移住定住イベントの開催など町をフィールドにワクワクする未来づくりに取り組む。


赤羽孝太さんの“これから”

「あと5年くらいで、おいらは陶芸家になりたいんだよねえ」。


意外すぎる答え。10年かけてトビチ商店街をつくるというビジョンを掲げながら、その中に孝太さんは入っていないと言う。


「おいらの影響が大きくなると、老害になっちゃうじゃん。おいらのためのトビチ商店街にはしたくない」


みんなが思う楽しさをそれぞれが表現してほしいから、自分の存在感が大きくなりすぎてしまったらトビチ商店街の第一線からは引くことを考えている。


ただ、茶目っけ満載でこんな妄想も語ってくれた。


「去った後も見てはいるんだ。たまあに、商店街に立ち寄って若い子なんかがトビチ商店街っていうのはね!って楽しそうに語っているのをウンウンウンウン!って何も知らない顔をして一人で楽しんでたいなあ。面白くない?(笑)」


そんな風にいたずらっぽく妄想を膨らませている孝太さんを見て、僕もなんだか面白くなってきた。いつも楽しい妄想をあれやこれや考える孝太さん。きっと、そんな孝太さんの妄想によって、辰野町の未来はちょっとずつ、でも確実にワクワクしていっているのだと感じる。


miniトビチmarketを開催します!

2019.12.07に開催されたトビチmarket。
9年後の未来に向けて新しいお店がオープンするのに合わせて、miniマーケットを開催します。
キッチンカーがたくさんお昼にくる商店街。
飛び飛びのお店を歩いて回って楽しい商店街。
自転車を借りて、商店街でアイテムを揃えてちょっと遠くまで。
そんなトビチ商店街の初めの一歩。
ワクワクする未来を感じにお出かけください。
出店情報・イベントの情報は随時発信していきます。

▶︎miniトビチmarketが気になった方はこちら

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